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鉱山で栄えた集落
美利河マンガン鉱山
1890年代(明治20年代後半)から、美利河では、砂金に代わってマンガン採掘が盛んとなり、美利河地区だけで4か所のマンガン鉱山がありました。
マンガンは当時政治情勢から、鉄を作る(硬化する)ための原料や乾電池用として高い需要があり、全国各地から仕事を求め人が入りました。
1902年(明治35)年には鉱夫とその家族でおよそ1000人を数え、茶屋や郵便局ができるなど、当時の今金市街より人口が多く、たいへん賑わっていたといわれています。
マンガンは国縫から函館経由で運ばれ、その質の良さから海外へも多く輸出されました。しかし、次第に安い海外産のものに押され、採掘量も減ったことから、美利河のいずれの鉱山も昭和30年代に廃山となりました。
〔マンガン鉱石〕
〔美利河鉱山〕
〔マンガン鉱流し現場〕
〔マンガン採掘現場〕
// 修正 150602 趙?>座右の銘は「「夢をあきらめない」by栗城史多」で、 執筆記事の得意分野はワクワクさせること、プラス思考、とにかくしつこいです。