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ここ、今金町に鉄道(列車)が走っていた時代を考察する、シリーズ第一弾★
この写真は昭和30年代(1955年~)冬の今金駅の様子です。
現在、風車の形をした建物がある「デ・モーレンいまかね」や、線路の敷地跡に整備された「オランダ通り」がある場所に駅がありました。
ちなみに正しい町名は「いまかね/Imakane」と発音しますが、駅名はなぜか「いまがね/Imagane」でした。
駅舎は昭和5年(1930年)の開業時には木造駅舎で、後に鉄筋コンクリートの駅舎に置き換えられました。
駅舎向かって左側には、線路を超えて高見町や南栄町、末広町方面などと行き来するための歩道橋が整備され、今の「今金診療所(野の花診療所)」付近に降りられるようになっていました。
現在、駅があった場所はこんな感じになっています。
左の写真は、現在の「中村商店」さんと「グループホームすえひろ」さんとの間にあった踏切付近から撮影された、昭和48年(1973年)頃の写真です。
ちなみに、現在の様子は右の写真になります。
当時の写真を見ると、列車は瀬棚方面に向けて発車している様子で、後ろには駅舎の横に設置されていた歩道橋が見え、右奥には現在の「学童保育所」付近にあった倉庫も見えます。
列車の手前にある線路の分岐器(ポイント)には、線路脇にスプリングポイントを示す「S」の標識があり、この写真が撮られた時点では、レールが違う方向に切り替わっているように見えますが、間もなくこの列車が通ることによる勢いで方向が自動的に切り替わり、列車が安全にポイントの上を通ることができる構造になっています。
このスプリングポイントは列車が通った後、バネ(スプリング)の力で、また、元の位置(写真の状態)に戻るようになっており、瀬棚方面から今金に到着する列車は直進のみに、今金から瀬棚方面に向かう列車は2方向のどちらからからでも安全に進むことができるような構造になっています。
この半自動構造により、駅員による切り替え作業が不要になり、また、駅舎手前の1番ホーム(例外を除き、長万部方面のりば)と、向かい側にあった2番ホーム(例外を除き、瀬棚方面のりば)の棲み分けができるような駅構造になっていました。
また、旧瀬棚線沿線は一大農業地帯のひとつであり、本格的に農作業が機械化される前の昭和40年代(1965年~)には ”全国初” となった「田植え列車」というものが走っていました。
列車は田植えなどの農作業に従事する人を運ぶための季節臨時列車で、長万部~今金間で運行されていました。
その他、函館まで乗り換えることなく直通運転されていた急行「せたな」や快速「せたな」、人だけではなく農産物や鉱物、木材、海産物(主に瀬棚産)を運ぶ貨物列車なども走っていました。
しかし、かねてからの累積赤字などが問題になり、ついに昭和62年(1987年)3月15日に鉄道が廃止になりました。
この写真は運行最終日の今金駅の様子です。
いつもこのくらいの賑わいがあれば、廃止にならなかったのかもしれません。
さて、今金駅から3.3キロ、隣にあった神丘駅があった場所の現在の姿です。
ホームの跡は未だに残っており、当時からあった大きな木も健在のようです。
最後に、昭和48年当時、今金駅で撮られたこの写真に写っている蒸気機関車(C11形207号機)ですが、実は今でも観光列車として現役で走っています。
それは、栃木県にある下今市駅と鬼怒川温泉駅間(東武鬼怒川線)にて、週末を中心に観光列車として元気に走っています。
当時の今金でも活躍した車両が、今でも元気に走っているなんて、すごいことなんです!!
筆:Odajima
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