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国鉄 旧瀬棚線があった時代②

ここ、今金町に鉄道(列車)が走っていた時代を考察する、シリーズ第二弾★

 

今金駅から4.8キロの隣、種川(たねかわ/Tanekawa)駅の写真です。

開業は今金駅と同じく昭和5年(1930年)です。
写真に写っている駅舎自体は開業当時のままではありますが、外壁や窓のサッシなどが近代的されているので、途中で手を加えられたものと推測できます。
なお、昭和55年頃(1980年頃)の1日当たりの乗降客数は80~90人ほどでした。

 

今金~種川間にある「常代の松」近くのメップ川に架かる橋を、今金方面に向けて走る貨物列車です。後ろの山並みは現在もほぼ変わりません。

 

 

種川駅を長万部方面に向けて発車する貨物列車の様子ですが、この先に待ち構える北住吉~花石間の約9キロに渡る峠越えに備えて、停車している間に機関助士(火夫(かふ)とも言う)が石炭をくべて、動力源である蒸気を溜める作業を行っていました。当時は、駅周辺の空一面が蒸気機関車から出た煙に覆われて、発車時間になると辺りに響き渡る汽笛を鳴らして列車が勢いよく発車していました。

また、種川駅では周辺で伐採された木材を運び出すために、貨物列車も扱っていました。 現在の駅跡はすっかり様変わりしてしまい、「山一木材工業」さんの木材置き場などになっています。

ちなみに、写真のように蒸気機関車が発車する際などに機関車の左右から ” 勢いよく白い蒸気を出すシーン ” がよく見られますが、これは「ドレン切り」と言って、機関車内の冷えてしまった蒸気や水(とは言っても、かなりの高温)を排出するために行う操作で、できるだけ新しい蒸気のみを溜めるために必要な操作となっています。(わかりやすく言うと、消費期限が切れた蒸気・水を排出するようなものです。)

当然ながら出来立ての蒸気は高温で圧力が高いため、駅を発車する際や、坂を登るような際など、通常よりもパワーが必要な場合(負荷がかかる場合)には大量に必要となるので、すでに冷めてしまった不要な蒸気や水を排出する必要があるのです。その現象が、” 勢いよく白い蒸気を出すシーン ” なのです。

なお、現在走っている観光用の蒸気機関車などは ” 写真映え ” に答えるために、必要以上に「ドレン切り」を行うこともありますが、基本的には走るために必要な一連の操作なのです。

 

現在の種川温泉の写真ですが、駅があった場所から徒歩数分のところに、昭和50年(1975年)に開業した種川温泉休憩所があります。

 

 

種川駅の3.1キロ先にある、北住吉駅の写真です。
北住吉駅は昭和31年(1956年)に無人駅として開業し、住吉集落の北側に駅があったことから北住吉駅と名づけられました。 現在、駅のあった周辺は国道230号線のバイパス道路として整備されており、駅跡の面影がほとんどなくなっています。

ここから先、北住吉~花石間のルートは、現在の国道バイパスのルートとなっている山間部に敷設されていました。 つまり、現在の北住吉~花石間のバイパス道路は線路の跡を整備して作られており、途中に設けられた現在の花石トンネル(全長667メートル)も、元々は鉄道用のトンネルを拡張・整備して作られたトンネルとなっています。
 なお、瀬棚線時代は全長約579メートルの「小金トンネル」という名称のトンネルで、現在の道路用トンネルの出入口部分の延長がなかったため、現在の道路用トンネルよりも少し短かったようです。

函館本線の支線扱いだった瀬棚線に使用されたレールは「30kgレール」という規格のレールで、力持ちの重量級 蒸気機関車(D51形やC62形など)が走れるような丈夫な線路ではなかったので、C11型などの小型 蒸気機関車を使って勾配を登らなければならない路線でした。(車でいえば軽自動車のような感じです)
現在のバイパス道路は、車にとってはカーブも勾配も緩い高規格道路ではありますが、鉄道にとっては1000分の25パーミル(1キロ進むごとに25メートルの高低差)が続く路線で、運転士泣かせの難所として甘く見てはいけない区間の一つだったそうです。

筆:Odajima

旧種川駅

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日本、〒049-4324 北海道瀬棚郡今金町種川249

旧種川駅

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